現代視覚文化研究への返歌
ちなみに、萌え4コマ年代記のことだけ書いています。
http://www.sansaibooks.co.jp/temps/GSBK.html
こんな本が出ていたと、2ちゃんねるのきららスレとか4コマ系の
アルファブロガーさんたちのところで知り、仕事帰りに購入する。
全体をさらりと通し読みした限りでは、そんなに的外れではないし
納得する箇所も多々あった。
ただ……文字数の関係からか説明不足の箇所も少なくない。
無論、4コマ専門誌なんて普段はスルーするような、
そんな若くてオタク系ニュースサイトに張りついている
オタクさんたちには、これで十分だと思う。
若干、伊藤剛の「テヅカ・イズ・デッド」に考えが染められている感はある。
(それはそれでいいのだが)
自分が同じ立場なら端折ったろうけど、気になるなと思うところを書き散らしてみよう。
第1章について
「ギャグダ」の先進性について述べるなら、同時に「まんがくらぶ」の前身である
「まんがTV天才くらぶ」にも触れてほしかった。いわゆる竹書房4コマ誌の独自性は
ギャグダより天才くらぶの方が功績が大きいと僕は思うので。
そして2年の休筆期間明けに氏が連載していた「BUGがでる」と「根暗トピア」の差異、
そこから発展して「ぼのぼの」に至ったという流れもふまえてほしいところだった。
もっとも、ここまでやると、いがらしみきおが持つ「漫画表現の流転」まで論じないと
いけなくなり、そうなるとみなもと太郎あたりにでも話を聞かないと
どうにもならなくなるので、カットしてもしゃーないだろう。なにより文字数が足りなくなる。
次にストーリー4コマだが、これは竹書房からスタートしたものかというと激しく疑問が残る。
芳文社で連載していた、こだま学の「ナオミだもん」前後から、
4〜6ページを通して1つの話に、かつ次号以降に伏線や物語を引っ張るという兆候は出ていた。
そして、すでにいくつかのブログで述べられているが、小池田マヤの存在を欠いているのは痛い。
まあ、小池田についてうかつに触れると芳文社とのトラブルとか版権引き上げとか
その辺で注釈が長くなるからカットしたのかもしれないが、まったく名前すらないのは片手落ちな気がする。
そしてストーリー4コマがキャラクター4コマを駆逐したと捉えることのできる章最後の部分、
これは正直いただけない。いや、キャラクター4コマとしてのアンソロジー漫画文化へ持ち込むため、
あえてそういう風に意図的なリードをしたのだろうが、現在の4コマ誌に
「派遣戦士 山田のりこ」のたかの宗美を筆頭とした、キャラクターのおもしろさで
トップを張っている作家さんたちが多くいることを知っていると「ちょっと待てや、お前」と言いたくなる。
(ついでにスポーツ4コマブームの衰退=4コマ誌におけるキャラクター4コマ衰退の象徴と
湊谷氏は断じているがそれは違う。あれはスポーツというジャンルと4コマ誌読みの層との間で
感性の乖離が生じたものである。この辺はJリーグブームのときに起きた、スポーツ観戦者たちの
価値観の変化にも原因があると自分は思うが、長くなるのでここではこの辺にしておこう)
第2章
アンソロの世界よー知らんので、スルー(おい)
第3章
まず「まんがくらぶオリジナル(くらオリ)」がアキバ系オタク向けに創刊されたと受け止められる
文章は大いに問題がある。創刊当初、くらオリ方向性はあずまんがのそれではなく
「アフタヌーン」に代表される、ややサブカル入っている萌えとはほど遠い人向けの雑誌だった。
オタクといっても、きららに代表される萌え系文化に背を向けた人用の4コマ誌だ。
現に、2ちゃんねるの4コマ誌系スレッドでは、まんくらやくらオリに影響を受けた世代が
執拗なまでに、きららなどの萌え4コマを叩いている。
いくら後藤羽矢子を起用したからといって、「アキバ系カルチャー読本」に書いていい文章ではない。
これは漫画ライターとして、ちとヤバいのではないだろうか。
さらにいうなら、きらら以前のミッシングリンク「4コマモンスター ちびどら」の失敗について
全く書かれていないのもいささか気になる。本文で「『電撃大王』をモデルにした新雑誌云々とあり、
注27にサンデーGXやウルトラジャンプ、チャンピオンREDなどについて触れているが、
文脈的にこの辺は要らない。湊谷氏がちびどらを知らなかったとしても、
ネットで萌え4コマ関係の検索をしたら何カ所か引っかかるはずなのだが。
そして、「もえよん」や「ぎゅっと」といったきららフォロワー誌の休刊、トリコロ移籍などによる
萌え4コマ危機からきららが脱したのは、きららの進んだ方向性にあるという風に読める。
それはそれで一理あると思うが、それだけだと一元的すぎやしないか。
きららがこうして生き残ったのには、別の理由もあると自分は考えている。
1:芳文社が湊谷氏が第1章にて定義した「毒にも薬にもならないキオスク出版社」であったこと。
駅やコンビニなどを見ると、芳文社の雑誌がどこかしらにあることに気づくだろう。
最近ではパチンコ/パチスロ誌にシェアを奪われているが、こうしたコンビニ、キオスクといった
広範囲かつ太い流通ルートを芳文社(あと竹書房も)が持っていることはとても大きい。
たとえばエロ漫画誌などの場合、コンビニ流通が切られたら即休刊になるくらい
この流通ルートは大きいのである。エロ漫画誌に限らない。吾妻ひでおも「うつうつひでお日記」で
「みこすり半劇場別館」の休刊事情について描いている。これもやはりコンビニルートを切られたからだ。
現に自分はきららをコンビニや西武の駅売店でいつも買っている。「ぎゅっと」や「もえよん」
「キラリティー」などはさすがに漫画専門店か大きな書店でないと見つからなかった。
2:誌面作りはあくまで「4コマ誌のフォーマット」であったこと。
これは以前「なぜ『もえよん』は単行本が出る前に倒れたのか」を考えていたときに
気づいたことなのだが、「4コマ誌のフォーマット」は4コマ誌読み以外の層にも受け入れられやすいが
「アンソロジー本のフォーマット」は4コマ誌読みには受け入れられにくいことが多い。
もちろん、どんな漫画誌のフォーマットにも対応できる人はいるだろうが、それは少数派だ。
「毒にも薬にもならない」「4コマ誌のフォーマット」というのは、逆を言えば
「広い層に受け入れられるフォーマット」ということでもある。「もえよん」を作っていた編プロは
アンソロジー本ばかり作っていたため、そのフォーマットを踏襲したのだろうが
これが裏目に出たと、自分は今も思っている(それ以前に漫画そのものが……というのは置いておく)。
同じように4コマ誌のフォーマットで誌面作りをしている「まんがライフMOMO」も健在だ。
このフォーマットというのは、単に4コマ漫画中心というだけではない。
要所要所に本来の雑誌カラーとは異なる作品を交え、読み手にアクセントをつけていることも
フォーマットなのである。これまで倒れた萌え4コマ誌の場合、箸休め的なアクセントを持つ漫画が
ほとんどないことに気づく人はどれだけいるだろうか。
オタクカルチャー誌向けの原稿という制約はあるだろうけど、こういう意見もあるということは
ほんのちょっとだけ知ってほしい。